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エスビー食品創業者 
山崎峯次郎

エスビー食品創業者 山崎峯次郎は、日本で初めてカレー粉の製造に成功しました。その後、業界の先頭に立ち、日本のカレー文化発展に貢献しました。

カレーを日本に広めた男 「山崎峯次郎」

カレーとの出会い

日本で初めてカレー粉の製造に成功した男「山崎峯次郎」は、1903年(明治36年)、埼玉県・北葛飾郡金杉村で生まれ、17歳にして単身上京し業務用のソースを洋食屋に売り歩く仕事に就きました。その頃出会ったカレーライスに衝撃を受け、自らカレーライスの基本になるカレー粉の製造に没頭することになります。

国産初のカレー粉製造に成功

しかしそれは、カレー粉とは何かが皆目見当もつかない当時のこと、想像以上に困難が連続する作業となりました。
近所からは変人扱いされながらもくじけず、一つ一つカレー粉の秘密を解き明かしていったのです。
カレー粉の製造には4つのポイントがありました。
… どのように粉にするのか
… どんなスパイスをどんな比率でブレンドするのか
… 焙煎(煎ることで香り立ちをよくし、全体をまとめる)
… 熟成(寝かして、さらに香りを渾然一体としたものに仕上げる)
の4つです。
それらを大変な辛酸をなめながら、時には偶然に一つ一つ発見していったのです。
生産機械を独自に開発するなどの努力の結果、ついにカレー粉の製造法を確立し、1923年(大正12年)浅草七軒町に、エスビー食品の前身となる「日賀志屋」を創業したのです。

カレー業界の発展に尽力~日本のカレーのスタンダードへ

戦時体制下に入り原料入手が困難になってくると、カレー業界の間で協同組合設立の気運が高まり、峯次郎が中心となって東京都カレー工業組合を創立。その後、関東、全国と地区を広げ、全国カレー工業組合聯合会の会長に就任し、自社のみならず常に業界の先頭に 立ち、カレー業界の発展にも貢献しました。
また、外国からの輸入に頼るカレー粉原料不足解消のため、主要原料であるクミン、コリアンダー、フェネグリークの国内栽培にも挑戦。
開始から3年目にしてようやく栽培に成功し、千葉・埼玉などの農家に依頼して大規模な栽培に着手。耕作地に1人ずつの指導員をおき、その指導員の講習を行いました。こうして1944年(昭和19年)にはなんと180トンもの原料の収穫に成功し、これを全国のカレー組合員 に分けました。これらの費用のほとんどを峯次郎が払ったそうです。
こうして業界をリードしてきた峯次郎が作るカレー粉は、国からのお墨付きもあり、日本を代表する建物「国会議事堂」のデザインを商品パッケージに採用し、まさに日本のカレーのスタンダードになっていったのです。

業界への貢献の証

国産初のカレー粉開発から始まった様々な功績が認められ、1958年(昭和33年)4月に紺綬褒章、1960年(昭和35年)5月に藍綬褒章、
1966年(昭和41年)9月に紫綬褒章を授賞。
1973年(昭和48年)11月には50年にわたる香辛料に関するたゆまざる研究が、科学技術の進歩・産業の発展・国民福祉に大いに寄与したとして勲三等旭日中綬賞を授賞しています。
1974年11月4日、逝去(71才)。同日、閣議決定にて従四位に叙せられました。

こうした勲章・褒賞は当時の食品業界では希なものであり、峯次郎の事業に対する情熱と先駆性・独創性が大いに評価された結果と考えられます。起業家として創業者訓など様々な語録を残しているほか、スパイス&ハーブの正しい啓蒙・普及のため山崎香辛料振興財団、および板橋スパイスセンター内(東京・板橋区)にスパイス展示館が創業者・山崎峯次郎と、社主・山崎春栄の遺志で設立されています。

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