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S&Bカレーの歴史 国産カレーの誕生はS&Bから |
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| ●純国産のカレー粉誕生、スパイスのS&B | ||||||
| 日本にカレーが最初に紹介されたのは明治の初め、文明開化の頃と言われていますが、明治から大正にかけて日本のカレーを席捲していたのは、イギリスのクロス&ブラックウェル社のカレー粉でした(通称C&Bカレー粉、現在はネッスル社の傘下に入っています)。この中で、1903年埼玉県に生まれ、17才の時、東京に出てソース屋で働いていた山崎峯次郎は、仕事の帰りにカレーと運命的な出会いをします。当時の洋食屋で始めてカレーを注文して食べた峯次郎は、カレーを一口含むやいなや、「辛い!しかしうまい!」と、たちまちカレーの魅力にとりつかれます。そしてカレーの基本になっているカレー粉を自分の力で作り出そうと決意します。しかしそれは、カレー粉とは何かが皆目見当もつかない当時のこと、想像以上に困難が連続する作業となりました。近所からは変人扱いされながらもくじけず、一つ一つカレー粉の秘密を解き明かし、ついに1923年(大正12年)日本で初めてのカレー粉の製造に成功します。峯次郎は同時に「日賀志屋」を旗あげし、自ら作り上げたカレー粉の普及に乗り出します。この日賀志屋こそが現在のエスビー食品の前身であり、山崎峯次郎は創業者その人です。 | ![]() |
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| カレー粉の製造には4つのポイントがありました。どんなスパイスを使うのか、それらスパイスをどんな比率でブレンドするのか、そして焙煎(煎ることで香り立ちをよくし、全体をまとめる)、熟成(寝かして、さらに香りを渾然一体としたものに仕上げる)の4つです。それらを大変な辛酸をなめながら、時には偶然に一つ一つ発見していったのです。つまり、S&Bはその誕生とともに、スパイスを知りぬき、スパイスの高度な使い手としてスタートしたのです。後にこのさらに磨きをかけられたスパイスのノウハウをいかんなく込めて誕生したのが、赤缶のカレー粉なのです。 |
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| ●戦前、戦中、戦後そしてカレー戦国時代に貫かれたこだわり | ||||||
| 峯次郎が作り出したカレー粉は、C&Bカレーを凌ぐ日本人好みの高い品質が評価され、じわじわと又ある時は一気にシェアを広げていきました。しかし日本がその後軍事色を強めていく中、大部分を輸入に頼っていたスパイス原料が手に入りにくくなっていきます。この状況下でも峯次郎は常に業界の先頭に立って、スパイス原料の確保に努め、戦時中もカレーの普及に努力しました。さらに戦後はGHQからのスパイスの払い下げのために奔走し、スパイス原料の輸入再開に向けても業界を率いて奮闘しました。これらの努力の甲斐もあり次第にカレー業界も息を吹き返していきます。この中で1950年代から勃発したのが即席カレー戦争でした。 戦前からもインスタントもどきの即席カレーがありましたが、戦後本格的に即席カレーの生産に力を入れるところが現れました。S&Bはカレー粉へのこだわりから、すぐに即席カレーを発売することはしませんでしたが、研究には余念がありませんでした。S&Bが作るのであれば、本格的な即席カレーを、というのが峯次郎の譲れない基本姿勢でした。そのため敢えて即席カレーの発売を延期した経緯がありました。当時はすべての原料の品質が良いわけではなく、きちんとした原料の確保には大変苦労したと言います。特に即席カレーは、スパイスは勿論、小麦粉の品質も決め手の一つでした。しかし最初製造した即席カレーの小麦粉を調べてみると酸っぱい味がしました。つまり当時は古い小麦粉しか手に入らなかったのです。峯次郎は即刻工場に命じて生産をストップさせました。次の年も満足な小麦粉が手に入らず、3年目にしてようやく満足な小麦粉が入手でき、即席カレーの製造販売に乗り出すことが出来ました。他社に遅れること数年、しかしこの品質へのあくことなきこだわりが信頼を生み、たちまち出遅れを挽回していきました。その後もモナカカレーやダブルカレーなどを次々発売し、各メーカーが各地に群雄割拠する即席カレー戦争を戦い抜いていきました。 |
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| ●カレーライスとライスカレー | ||||||
| 現在でも、カレーのことをライスカレーと呼ぶ人もいれば、カレーライスと呼ぶ人もいますが、今日多くの人はカレーライスと呼んでいるようです。どこが違うのでしょうか?俗に、ご飯の上に黄色いカレーソースが予めかけられて供される大衆的なスタイルのカレーをライスカレーといい、カレーがソースポットなどに入れられ、ライスとは別に供される、おしゃれな感覚のものをカレーライスという、とされています。歴史的に振り返ってみると、最初はライスカレーという言い方が一般的で後にカレーライスと呼ばれるようになったと言います。その明確な転換点は1960年代半ばから後半にかけてと推定されています。 |
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| ●質の充足を求める時代 | ||||||
| 日本は1960年代より高度経済成長期に入っていきました。1964年に開催された東京オリンピックは、世界的な経済成長の波にのり、GNPで2ケタ台の伸びを連続して記録する等、予想を超えるハイペースで目標をクリアしていった日本が、経済復興を世界に向けてアピールし、印象付けるものになりました。当然人々の暮らし向きも大きく変わってきました。都市が膨張し、様々な商品が街に溢れる中、消費者の嗜好も次第に変化し、その豊かさに見合う“質”を求め始めていました。 依然、厳しい戦国時代を戦いながらも一方で、冷静な目をもって時代の変化、消費者の嗜好の変化を敏感に感じ始めていたのが、S&Bのマーケティングでした。カレー戦国時代の中で現れては消えていった数々の即席カレーは、当時のインスタントブーム(コーヒー、ラーメンなど)の名の通り、“インスタントに作る”ことに重点が置かれていました。しかし、高度成長の成果を徐々に生活の中へと取り入れつつあった人々は、単に作る上での手軽さ=インスタント性だけでは、もはや満足してないのではないか?手軽さはそのままに、よりよい“質”へと消費者の関心が向き始めているのではないか…。その頃S&Bはそんな構図を描いていました。 それは、日本で最初に純国産のカレー粉の製造に成功し、戦後赤缶を発売、10年の歳月をかけて日本人の嗜好に合うように質の向上に努めてきたS&B、そしてあらゆる製品に、「S&BはなっとくしたものにしかS&Bのラベルは貼りません」の精神を貫き、まさに“質”を一義的に考えてきたS&Bの本領が即席カレーにおいても発揮される時でした。 |
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| ●カレーらしいカレー、スパイスへのこだわり。ゴールデンカレーの誕生 | ||||||
| 手軽さ、即ちインスタント性はおしとどめようもない時代の奔流である。その中で社会の変化に対応し、なお嗜好の変化を先取りした質とは…。世を見渡せば様々なカレーが出回っている。ここで落ち着いてカレーの原点に戻って考えてみよう。こうして導き出した新カレーの方向は、「カレーらしいカレーを、高い質の中で実現する」というコンセプトでした。極めて当たり前と思われるコンセプトが、様々なカレーが氾濫する当時のカレー界においては、新鮮な趣きと重みをもって響いたのです。では、「高い質の中で実現するカレーらしいカレー」の“質”とは、どんな姿であるべきか?ここでS&Bがこだわったのが、スパイスでした。 S&Bには、スパイスを自在に使いこなす技術の蓄積がありました。つまり、スパイスの使い方ならどこにも負けないという自負がありました。このような背景か ら、原点に戻ったカレーらしい本格的カレーに与えうる具体的な姿が、次第に浮かび上がってきました。『スパイスが効いた香り高い本格的なカレー』を作り出すこと。これが結論でした。それは今日も輝きを失わないゴールデンカレーの姿そのものでした。 『スパイスが効いた香り高い本格的なカレー』というコンセプトを文章で表現するのは簡単ですが、実際にスパイスをブレンドすることから始まって油脂や小麦粉など、全ての要素を吟味して全体として高度なバランスの上に、一つの調和物を仕上げていくには困難を極めました。しかし、S&Bには日本で初めて純国産のカレー粉を生産して以来、長年にわたってスパイスにこだわり、その中で培ってきた技術の蓄積がありました。S&Bならできるはずだ。培われた技術が惜しみなく投入されていくうちに、ゴールデンカレーは生命を吹き込まれたように、次第にその姿を現し始めたのです。今でも「ゴールデンカレーほど香りで納得出来るカレーは無い」と言われる位、スパイスにこだわり、スパイスの豊かな香りを醸し出すカレーは、ゴールデンカレーをおいて他には見あたりません。だからこそ発売以来35年の年月を経た現在においても、多くの人々に愛されつづけ、日本のカレーのスタンダードという地位を不動のものにしているのです。 |
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| ●100円のカレー | ||||||
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